遠国日記

都から遠く離れた遠国(九州あたり)から、日々の思い、読書日記などを発信します。

カツセマサヒコ『明け方の若者たち』 感想

カツセマサヒコ『明け方の若者たち』

 

1月1日読了。大学を卒業し働き始めた当初の感覚を鮮やかに思い出しました。理不尽な命令とか、大学時代までいかに甘い考えだったのか思い知らされ日々絶望していました。

よくある新卒社会人の会社+恋愛話なのかと思いきや途中から思わぬ展開に。

沼にはまり込む気持ち、今なら良く分かります。自分がこの人だ!って思えば思うほどその人は遠くに行ってしまうような。手に入れることができないからそう思うのか。

 

印象に残ったのは

 考えてみると、高校に入学し、「文系」「理系」という大きな岐路に立ってから、僕ら”イチローじゃなかった組”は「選ぶ」というよりは「捨てる」という感覚で、自分に人生を選択してきた。

という一文。

人生は選択の連続というけれども案外できないことを捨ててできることにしがみついてきた結果なのかもしれない。

 

著者のことは全く知らないし、帯のコメントを見て気になって読んでみたのですが、

なんとなく最後のシーンを見るに、この本は著者の20代の自分自身へのレクイエムなのかなと感じました。

 

明け方の若者たち (幻冬舎単行本)

明け方の若者たち (幻冬舎単行本)

 

 

今村夏子『星の子』感想

 

星の子 (朝日文庫)

星の子 (朝日文庫)

 

 

  12月31日読了。2020年、芦田愛菜主演映画として公開されたので気になり図書館で単行本を借りて読んでみました。宗教にはまる家庭の娘として育つ主人公のお話というのは映画の予告などでなんとなくは分かっていましたが、読んでみると主人公の一人称で進む、異質なはずなのにその異質さを感じさせない静かな物語でした。

 ラストシーンは親子の絆が描かれるとともに別れを予感させるような気もしました。友人に見えるモノが自分には見えない、自分に見えるモノが両親に見えない。同じモノを見ていても、だんだんと見える景色が変わっていくということは主人公の気持ちや感覚が周囲と変わっていくことを示しているように感じました。きっと映像で見るとすぐに理解できるんだろうけど、もっと想像力を働かせないといけないな、と思いました。

 

 新興宗教の家庭の同級生は、小学生・中学生の時は2・3人いて、何か事情がある、自分たちと違うのかなというような気持ちで見ていました。親が信仰している宗教の2代目世代はどんな気持ちなのか。全肯定できなくてもきっと全否定もできないような、信じることが難しくてもまったく信じないことも難しいような。あまり当事者の気持ちを考えたことがなかったなと思いました。

 

作者の今村夏子さんの本は初めて読んだけど、大人も子どもも読みやすい文体だと感じました。機会があれば別の作品も読んでみたいです。

はじめに

年越しなので、というわけではないですが、ブログを始めたいとずっと思っていました。でもなかなか始めずに気づけば30代。最近は忙しすぎていろんなことが記憶できていない。危機感もあり、とりあえず読書記録として始めました。

 

今年は大学時代以来の実家に帰らずに年越し。コロナの影響ということでみんな納得しているけど本当は仕事が忙しく帰っている暇なんてない。帰ったところで結婚した兄妹や従妹に会って「まだ結婚しないの?」と聞かれることはわかっている。そんな状況には今はいたくないなと思い、最初から帰らないつもりでした。

大学時代の年越しを思い出してみると3回生の時は大雪でバイト先の旅館に宿泊。仕事もして翌朝スリップしながらアパートまで戻ってまた夕方にバイトに行くという無茶苦茶なことをしていました。あの時は本当に事故して大怪我してもおかしくなかった。

4回生の時は卒論で忙しかったが当時付き合っていた人と一緒に過ごした。どんな年越しかハッキリと思い出せないが学生時代に年越しを一緒に過ごしてくれるとは今思うとありがたい話でしたね。

あれから10年経って、今年の年越しは完全に1人。ここには家族どころか友人もいない。孤独な反面、案外心地いい。やっぱり静かに過ごすのが自分の性格に合っているみたい。

ここ最近はスマホに依存し何も考えずに生活してきたので、2021年はもう少し丁寧に時間を使いたい。

 

このブログはとりあえず備忘録と読書感想文を書いていきたいと思います。書評ブログとか、それ以外のブログもとにかく見る・読むのが好きなんですけど、たまに自分が思ったこと、感じたことが書かれていないじゃん!!と思うことがあります。そろそろ自分で書いて言葉にしてみようかと思います。ど素人なのですがまずは一年続けていきたい。